更生を阻むレッテルの影響について (ラベリング理論の再考)


今日は少し、学生時代を思い出しながら書きたいと思います。

プライベートな出来事で、レッテルについて考える機会がありました。

少し具体的に話すと、

自分の子どもが、間違いをおかしてしまったわけですが(刑事犯罪じゃないですよ!!)

その間違いの被害者はそれが許せず

「あなたの子どもは常識がない。他のみんなもそう言っている!」

と言われてしまったのです。

これは・・・レッテル貼られてる?と思い、思わず心拍数があがってしまいましたが、

少し冷静にこの状況を考えてみることにしました。

この被害者の言うことは間違えていません。

「いまの」私の子どもは、非常識なところがあります

つまりそれは、成長の過程の失敗であって、

その「非常識」は、失敗を繰り返し、いけないことだと学ぶことで常識として身につくものだとも思っています。

しかし、

「人間の根本が非常識です」

と、周囲からレッテルを貼られてしまった場合、

「ぼくは、非常識なんだ」

「ぼくは、嫌われてしまうんだ」

と、なってしまうかもしれません。

これが社会学などで学んだラベリング理論の大枠・・・・と思っていたのですが、

今回直面してまた調べ直してみると、ちょっと違ったかもしれません。

ハワード・S・ベッカー(Haward S.Becker)が著書『アウトサイダーズ』の中で、
『社会集団はこれを犯せば逸脱となるような規則(ルール)を設け、
それを特定の人々に適用して彼らにアウトサイダーのレッテルを貼ることによって逸脱を生み出すのである』
と述べています。

「レッテルを張ることが逸脱を生む」とはつまり、

ある基準を設け、それに属するものと属しないものを区別し、属しないものを差別するという機能が、逸脱を生んでいる

そうすると・・・ラベリングには、

僕は駄目なんだ・・・という自己評価を下げてしまう機能と同時に

あいつは駄目な奴なんだ・・・と他者を差別評価する機能も存在する・・・ということだと考えられます。

 

人に負のラベリングをすることで、逸脱は始まるともいえます。

 

今回のように、はっきりとした出来事があってレッテルを貼るということは

感情的に分からないこともないし

自分だってやってしまうかもしれない・・・。と思うわけです。

(実際、このレッテルを張った人を「ヤバい人」というレッテルを張ってますし・・・)

が、人は意外と特別な出来事などなくても、無意識のうちに人をラベリングしていることがあることに気づきます。

悪い感情はなくとも、

シングルマザー→経済的に大変だ、気持ちに余裕がない

専業主婦→社会の厳しさに敏感ではない、社会に対しての視野が狭い

など、一定の勝手な思いこみを持って接している部分が、世間にもあるように思います。

今回は自分が加害者側だったため、

大きなことを言える立場になかったのですが、

もし、自分が被害者になっても

加害者にレッテルを貼る結果に結び付く対応は、

決して解決策ではないのだということを

冷静に受け止めなくてはならないと思いました。

 

 


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